たまこさん「大切な笑顔」 | 第1回ぐるっとママ懸賞作文

「私の出産」~母から子へ伝えたい言葉~

第1回ぐるっとママ懸賞作文

たまこさん「大切な笑顔」

『心臓病の我が子が教えてくれたこと』
 

 幸運なことに私は3人の子どもを授かっております。現在7か月の3人目は、生まれてすぐにファロー四徴症という先天性心疾患であると診断されました。
 妊娠中は、1人目、2人目のときとは違ってつわりも軽く、至って健康に過ごすことができました。3人目だったので、産休も気楽なものでした。
 出産は破水から始まり、ちょうど予定日にご対面となりました。元気に泣く3040gの女の子でした。生後1日目で母子同室になりました。昼夜問わずなかなか泣くので、少し寝不足感がありましたが、3人目だったので気楽にいこう〜とゆったりした気持ちでした。生後2日目、看護師さんから突然お子さんのことで先生からお話がありますと言われました。先生からは心臓に奇形があり1歳前後で手術が必要になるとのお話がありまた。診断名など詳しい説明は明日旦那さんと一緒に聞いてもらいたいので来てもらってくださいと言われ話は終了。頭が真っ白でした。診断名は教えてもらえませんでしたが、先生に言われたことをインターネットで調べて、たぶんファロー四徴症だろうと予測がつきました。涙が止まりませんでした。泣きながら妹に電話もしました。妹に泣きながら電話したのは人生で初めてでした。翌日は夫と一緒に説明を聞きましたが、診断名は予想通りでした。症状は今のところ目立っていないが、低酸素発作を予防するためあまり泣かせないようにとのことでした。それから退院まで、病室でずっと先生に言われたことを思い出しては泣き続けました。妊娠中何か食べたらいけないもの食べたのかな、この子は大きくなることができるのだろうか、手術や入院で家を空けるようになれば上の子たちのことはどうしよう、泣かせないようにってどうやって?様々な思いが次から次へと込み上げました。コロナ禍で面会禁止だったので誰にも会えず、寂しくて辛い時間でした。
 退院してからの私は食欲も気力も失っていました。それでも、上の子たちがいたので起きて動くしかなかったし、ご飯も詰め込んで食べていました。夫は買い物にでも行ってきたらと外出をすすめてきました。夫は何も言いませんでしたが、気晴らしに行って来させようという意図もあったのでしょう。私は嫌々行っていましたが、行ったら気晴らしになって気持ちが軽くなりました。一度だけ、買い物から家に帰ると夫が目を真っ赤に腫らしていたことがありました。口数少なく気持ちを話さない夫ですが、病気のことを考えて辛かったのでしょう。
 娘は病院とは違って泣き続けるということはなく、夜も寝てくれるし体重増加も発達も順調でした。ただ、泣くと顔色が土色っぽくなり、強く泣いたあとは口の周りが青くなってぐったりしているように見えることもありました。5か月になってすぐ、地元の病院から県外の病院へ紹介状が出て、初診から2週間後には検査入院と慌ただしく時が過ぎていきました。検査入院から退院して10日ほど経った夜、娘の機嫌が悪いと思って抱き上げたら突然意識を失いました。恐れていた低酸素発作でした。一瞬でしたが、死んでしまったかと思い、今でもあのときの恐怖がはっきりと脳裏に焼き付いています。手術は半月〜1か月程先の予定でしたが、早い方が良いということになり、発作から9日後に手術を受けました。ずっと母乳育児だったので哺乳瓶を嫌がる娘に哺乳瓶であげなければならない水分制限は想像を絶するものでした。恥ずかしいことに看護師さんの前で泣いてしまいました。水分制限は壮絶でしたが、退院まで経過は順調で入院から23日目に退院となりました。内服もまだ続いていますが、体重増加は良好、笑顔が増えました。上の子たちが夕方家に戻るとニコニコ笑ってお出迎えしています。家で過ごして居られる幸せを家族全員で味わった思い出の夏となりました。これからも子どもたちの笑顔を守っていきたいと強く願っています。

 

高知県 たまこさん
題名:大切な笑顔
子どもへ伝えたい言葉:「心臓病の我が子が教えてくれたこと」