【奨励賞】片岡まりさん「私のトロフィー」 | 第1回ぐるっとママ懸賞作文

「私の出産」~母から子へ伝えたい言葉~

第1回ぐるっとママ懸賞作文

【奨励賞】片岡まりさん「私のトロフィー」

思いやりある優しい心、当たり前だと思わない感謝の心を持っていること。それは何にも勝る生きる力。3人が多くの人に愛されますよう。』
 

「女の子やね」
安堵と疲労でぼーっと足元を気にする私に夫がそう微笑んだ。
暑くよく晴れたそんな日に、私の小さな娘が生まれた。名前は、はな。
「女の子やね」にはたくさんの意味が込められていた。
はなが生まれる約2週間前、私の母が死んだ。
検査入院だったはずが容態が急変。これもまた暑い日に突然だった。
大きなお腹で駆けつけたけれど間に合わなかった。
大きな声で泣いた。
同じように悲しむ姉が、私を車椅子に乗せたその後のことは覚えていない。
けれど葬儀へ立ち会ってくれた友人が、
「こんなんで産めるのかなぁ」
と呟いた私に
「産めるよ!絶対産めるよ!」
と腕を力強く掴んだ時、あぁ私が産まなければ誰も代わってはくれないんだ、と腹を括ったことは昨日のように覚えている。

後日母の荷物から、美しい母の字で書かれた七夕飾りを見つけた。
"まりの出産が無事でありますよう!"
こんな時まで人のことを。そう思った。
恋しさ悲しさ、感謝の気持ち。会いたくて会いたくて、泣いた。
人が喜ぶことが大好きな気遣いの母だった。
母には2人の娘と息子が1人。
口癖は「私にしては上出来の申し分ない子供達に成長してくれた」だった。
母だってすごいのになぜそんな言い方をするのか、と思っていた。

妊婦検診で、お腹の子の性別ははっきりしなかった。
「男の子かなぁ」
と一度先生が言ったこと、周りが私の顔やお腹を見て、
「男の子じゃない?」
と言うので男の子だろう、と私も思っていた。

陣痛は予定より1週間早かった。
きゅーっと締め付けられる感覚で、これは陣痛だ、と確信するのは初めてでは少し難しかった。
想像より痛くないや、と思っていた自分の甘さに気づいたのは夜中の3時。
暗い部屋で考えるのは母のこと。
この子に会いたかっただろう。どんなに楽しみにしていただろう、とまた泣いた。
冷静に、今こんなに痛くて、最終的にどうなるのだろう、と不安になったりもした。
そんな私の思いが伝わったように陣痛は不定期だった。10分になり7分になり、15分に戻ってまた10分。
娘も不安で迷っていたと思う。
「お母さん、私、今日生まれて大丈夫?準備できてる?水色の産衣用意してたけど、私女の子だよ?」と。
たくさん迷って戸惑って緊張した娘は、私がこれ以上は無理!となったその時スルーっと出てきた。
あんなに長く苦しんでも、こんなあっさり生まれるの?と思わせてくれた小さな娘。
7月25日23時に始まった陣痛は、7月27日3時57分、はなの控えめな産声で無事終わった。
「女の子やね」は、「お母さんが戻ってきてくれたね」と私には聞こえた。

沐浴を終え私の元へ来たはなは、想像してきたどれとも違う、どれよりも可愛い顔をしていた。
バスタオルごしの温かさや重み、おでこの香りやその時私の鼻と彼女のおでこが当たる感覚を、私は今でもはっきりと覚えていて胸をきゅーっとする。
これが私の初めての出産。

あれから11年、娘には2人の弟がいる。
3歳違いの弟は、陣痛から2時間で生まれた。5歳違いの弟も同じく。
戸惑いながらも産道を広げてくれたはなの努力だ。
それを感じるのか、弟達は姉を大好きで、そんな3人を見て私はこう思う。
「私にしては上出来の申し分のない子供達だ」と。
自分を卑下しているのではなく、むしろトロフィーを手にしたような誇らしい気持ち。

私が3人へ伝えたいこと。
それは、生きていたら予期せず悲しいことや辛いことはやってくる、ということ。
けれどそんな時、それまでに受けた愛情が、みんなの中で大きな生きる力になるということ。
そしてみんなも誰かの生きる力になっているということ。
人を想うように自分を愛し、素直に愛情を受け取れる人であってほしい。
母はいつもずっとみんなを応援しています。
生まれてきてくれて、ありがとう。

 

高知県 
片岡まりさん

題名:私のトロフィー
子どもへ伝えたい言葉:「思いやりある優しい心、当たり前だと思わない感謝の心を持っていること。それは何にも勝る生きる力。3人が多くの人に愛されますよう。」